皆さん、こんにちは。 いそかぜです。
私用で忙しかったため、更新が遅れてしまいました。
さて、今回は年明け後の旅行準備、そして寄り道を決めた経緯について書きます。
なお、今回の記事については写真はないです。
打ち上げ1ヶ月半前(2024年1月)
軍艦防波堤と戦艦「大和」
2009年に私が種子島を訪れた際に、戦艦「大和」が種子島の西方沖に沈んだことを知った。
戦艦「大和」が沈没した坊ノ岬沖海戦(1945年4月7日)では、
駆逐艦「初霜」・「雪風」・「涼月」・「冬月」の4隻が生き残った。
終戦後の1947年から「涼月」と「冬月」の船体は、福岡県北九州市で防波堤として使われている。
余談にはなるが、「雪風」の錨は、広島県江田島にある海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)
現在では、コンクリートによって船体は埋められたものの、今なお残る貴重な戦争遺構の一つである。
私はこの防波堤がある場所に数年前から何度も行こうと試みてきた。
しかし、
・行ける時間が確保できない
・天気が悪い
という理由から諦めてきた。
今回の旅行では、「まだ行けていないという想いをここで終わらせる」との想いから今度は晴れることを信じて防波堤へ行くことに決めた。
打ち上げ1か月前(2024年1月中旬)
特攻と「鹿屋」(かのや)
鹿児島県鹿屋。 現在、海上自衛隊の基地があるこの地には旧海軍の航空基地があった。
旧海軍時代の鹿屋航空基地は、主に海軍による特攻作戦の要として、912人の若者がこの地から片道切符へと飛び立った悲しい歴史がある。
かつて、私は「鹿屋」を訪れたことがある。今回の計画を立てる中で、「特攻で戦死した多く人たちと同じ世代となり、特攻について改めて考えたい。」との思いが強くなり、以前訪れた鹿屋に行くことにした。
パート3に続く